一人暮らしを始めて少し経った頃、知らない道を通るのがとても楽しかった。
今も楽しいんだけどね。
よく通る知ってる道からちょっと外れた道に入ってみて、全く知らない景色だとか見たことある大きい建物が遠くに見えたりだとかして、もうちょっと進むとよく知ってる道に出る感じ。
道と道とのつながりが脳の中でもつながる感じかして、これはまだこの土地に慣れてないからこそできることだなーと思ったのを覚えている。
知らない道から知ってる道に出た時のあの感じほんとに大好き。
ああああ!!ここかあああああ!!ここだったのかあああ!!ここに出るのかあああああ!!!!ってなる。
しかしただ知らない道を彷徨うだけの迷子だったらこんなに楽しめていないはず。自分心配性の寂しがり屋だからね。
知ってる道の近くであること
空が明るいこと
スマホの充電が十分に残っていること
このへんのことから安心感を得て、楽しく迷子気分を味わえていたんだと思う。
そして今日いつも通りの道を自転車で漕いで帰ってきている間にそんなことを考えていたんだけど
なんかこれって人生じゃね???という考えに至った。
書いててもよくわからないんだけども、
書きながら整理していこうね。言葉には限界があるけどその限界の中で頑張ろうね
なんか道に外れてもちゃんと帰ってこれるというか、用意されている道がちゃんと見えているというか、そういうことがわかっていることで知らない場所に寄り道しやすくなるのではないかなーみたいな
なんか文字にしてみたら急に当たり前のこと言ってる人になったな
なんというかアイデンティティ確立していく上でなんかありそうだなって
そもそもアイデンティティなんてそんな簡単に確立できてたまるかみたいなとこもある(ない)のでなんとも言えないけど
自分のことで考えてみると、いろいろやってみたいことはあるけどここが自分のこころの1番の拠り所というか帰る場所みたいなのがないからあんまりいろんなことに飛び込めないのかな
でもそういう拠り所をアイデンティティ的な感じに考えられるのではないか
???????
わけわかんないですね
安心感のない迷子